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セゾン投信定期積立経過報告

kage

2012/08/26 (Sun)

すっかりご報告が遅くなってしまいましたが、8月22日(水)はセゾン・バンガード・グローバルバランスファンドの定期積立約定日でした。そこでいつものようにセゾン投信設立時から同一金額の定期積立のみを行っている(=定期積立の増額やスポット買いを一切行っていない)私の運用成績を公開させていただきます。

<ご参考>セゾン投信設立時より定額で定期積立のみを続けた場合の指数
●個別元本 : 8,025円 (先月比3円低下)
●約定価額 : 7,793円 (先月比243円上昇)
●騰落率 : -3.0% (先月比3.1%改善)


ギリシャの粉飾財政を発火点として始まった「欧州債務危機」は、先月の定時報告時点ではスペインに飛び火していました。その後も危機の根本的な要因はほとんど何も取り除かれていないのですが、今月の約定価額は先月より243円も高い7,793円となり、私個人の騰落率も一気に3.1%も改善しました。この背景には、組入比率が最も高い米国の株高+債券高があります。欧州債務危機が深刻化すればするほどリスク回避の動きが鮮明になり米国債が買われ、危機対応のためにFRBが追加の金融緩和に踏み切るとの期待で株式が買われる現状は決して好ましいものではありません。しかしその状況を「間違っている!」と非難しても意味はありません。投資の大原則は「目の前で起こっていることはすべて正しい」なのですから。特にインデックス運用は市場で定期的に巻き起こされる過熱のバカ騒ぎにも、悲観の暴落にも、キッチリとお付き合いすることが義務付けられていますので、基準価額の騰落が持つ意味を考えるだけ無駄であるともいえます。先月の定時報告にも書いたとおり、インデックス投資家が座右の銘とすべきは「Let it be(あるがままに)」であり「Que sera sera(ケ・セラ・セラ=なるようになる)」なのですから。

今回はセゾン投信とはまったく関係ありませんが、無理矢理に投資つながりということにして8月23日にNHKで放送された「ドキュメンタリー同期生 兜町 夢のあとさき」をレポートしたいと思います。私が株式投資を始めたのは2000年代以降のことなのでバブル期の証券業界のことはまったく知らないのですが、いろいろと考えさせられる内容でした。なお事前に案内されていた番組の内容は下記のとおりです。

ドキュメンタリー同期生 兜町 夢のあとさき

特別な現場や時代を共有した“同期生”に焦点をあて、彼らのたどった人生から日本の今を照射していく「ドキュメンタリー同期生」。オイルショックの翌年、昭和49年に証券会社に入社した若者たちは、その後、日本経済を栄枯盛衰を一身に体現することになる。「49年組」の証券マンたちは、証券のまち「兜町」でどのような夢を見て、どのような挫折を味わったのか。彼らの歩みを通して、この40年の日本の姿を見つめていく。


昭和49年の日本経済は、前年に起こったオイルショックの影響で戦後初のマイナス成長を記録した。日本経済が転換点を迎えたこの年、実力次第で高い報酬を得ることができる証券業界に例年の2倍近い14,000人の新入社員が足を踏み入れた。「昭和49年組」と呼ばれた彼らは、証券業界の中心でバブルとその崩壊を経験していった。

東京証券取引所を中心に数多くの証券会社が立ち並ぶ日本橋兜町。長引く不況の影響で倒産する証券会社が相次ぎ、街にかつての活気はない。

SBI証券を傘下に置くSBIホールディングス社長の北尾吉孝さんも「昭和49年組」の一人。現在北尾さんが最も重視しているのは成長著しいアジア市場。番組の取材時にはカンボジア企業への融資を指示したり、中国の健康事業参入の協議を行っていた。

北尾さんが証券マン人生をスタートさせたのは野村證券。同期入社は約300人。当時の新入社員名簿の中には野村證券を傘下に置く野村ホールディングス会長の古賀信行さんの名前もあった。

北尾さんは大手都市銀行数社からも内定をもらっていたが、あえて当時はあまり人気が高くなった証券業を就職先に選んだ。それはいずれ直接金融の時代が到来するという確信と(筆者注:銀行は間接金融です)、日本経済を活性化させてグローバルに活躍できるのは証券業だという信念があったから。

北尾さんは入社2年目の昭和51年に会社の制度を利用してケンブリッジ大学に留学。昭和57年にはニューヨーク支店に配属された。北尾さんにとっての証券マンの仕事は、全人格を懸けて時代そのものを見ることだった。

バブル崩壊後、北尾さんはいち早くインターネットの可能性に着目して平成7年にソフトバンクに転職。ネット証券というビジネスモデルを確立した。(筆者注:現在のSBIは「Strategic Business Innovator」の略称と説明されていますが、ソフトバンク傘下時代は「SoftBank Investment」の略称でした。)

北尾さんは世界経済が危機にある今こそ、大きなビジネスチャンスがあると考えている。

北尾さん「経済を見る目とか物事を判断する力などを作ってくれたのはこの商売。何かのトレンドを見つけ、時流を見つけ、そこに賭けていく。証券業は男のロマンだと思う。」

野村證券の昭和49年同期入社組は互いをほとんど知る機会もないまま全国各地に散っていった。高須幸雄さんは大宮支店に配属された。高須さんが証券業界に入ったのは、出身大学などで評価されず努力次第で高い報酬を得られることに魅力を感じたから。しかし待っていたのは厳しい現実だった。大量のノルマを消化し続けるだけの日々に消耗していったという。(筆者注:野村證券が陰でノルマ証券と揶揄されていることは、私でも知っている有名な話です。)

高須さん「非常にノルマはきつかった。数字優先の世界なので私は生きがいを感じられなかった。ハッキリ言って嫌だなと思っていた。」

限界を感じた高須さんは、入社6年目に野村證券を辞めた。そしてノルマ制がなかった中堅のアイザワ証券に転職した。しかし待遇には大きな差があった。

高須さん「転職後しばらくして結婚したが、最初の給与明細を女房に渡した時はさすがに女房も黙り込んで、数日後に“私、パートに出るわ”と言われた時には返す言葉がなかった。」

転職後の高須さんは顧客の声に誠実に耳を傾けることを自らに課した。大きな業績につながらなくても顧客のために働くこと、それが証券マンの仕事だと高須さんは考えるようになった。

高須さんは大きな仕事よりも顧客との信頼関係を優先してきたこの30年に誇りを感じている。還暦を過ぎた今でも毎日外回りの営業を続けている。体力が許す限り一証券マンとして働き続けるつもりだ。

近江孝文さんは昭和49年、山一証券に入社した。170人いた同期の誰よりも高い業績を上げて、社長に上り詰めたいとの野心に燃えていた。きついノルマをこなして高い報酬を得ることに充実感を覚える毎日だった。

近江さん「確かにいい時代だった。いい思いもしてきた。目指していたのは立身出世。山一証券に入ったら自分が社長になる。そういう思いで、自分のために仕事をしてきたつもりだ。」

近江さんはバブル経済真っ直中の昭和62年には優秀社員として選ばれ、アメリカへの研修視察旅行に派遣された。平成元年の年末には日経平均株価が史上最高値となる38,900円を記録。近江さんの年収も1,500万円近くにまでなっていた。

ところが平成2年が明けると、日経平均株価は下落に転じた。バブル崩壊が始まったのである。入社16年目を迎えて課長に昇進していた近江さんは業績を維持するために手段を選ぶ余裕はなかった。

近江さん「最後はお願い営業。“何とかしますから”という言葉で引き取ってもらう。」
取材記者「“何とかします”というと?」
近江さん「それは損失補填。」

この頃の山一証券はその損失補填が焦げ付き巨額の債務を抱えるようになっていた。それでも近江さんたち社員は、株価さえ回復すれば会社は立て直せると信じていた。しかし平成9年11月、多額の損失隠しが発覚した山一証券は市場の信頼を失い、自主廃業に追い込まれた。

解雇された近江さんは46歳という年齢が足かせとなり、証券業界への再就職は叶わなかった。畑違いの業界で働く今でもアメリカ研修視察旅行のお土産として買ったダンヒルの腕時計を身に付けている。この腕時計こそが一番いい時代の証明であり、私のプライドだと語る。

山一証券の昭和49年組は今も厳しい選択を迫られている。石川正夫さんは半年前、長引く不況の影響で再就職した証券会社が倒産、再び解雇された。石川さんは転職を繰り返す中で老後のために貯蓄をする余裕はなかった。今は持病の治療のために60歳を過ぎても働き続けなければならない。しかし証券業界で働く自信はもうない。24歳から働き続けてきた兜町を去る決意を固めている。

石川さん「(今の証券業界は)顧客に迷惑をかけてしまう状況になっている。株の売り買いとか、銘柄を発掘することが好きだったので寂しい思いはあるが。」

個人的に印象に残ったのは近江さんの「自分のために仕事をしてきたつもりだ」という言葉でした。今の感覚でいえば「顧客のことを考えないなんてとんでもない!」ということになるのかも知れませんが、高度経済成長からバブル期に至る時代ではきついノルマを達成するために無理矢理顧客に売り付けた株もそれなりに値上がりしたので結果的に証券マンと顧客はWin-Winの関係が成立していました。しかし今の証券業界でノルマに縛られると、結果的に石川さんが言うように「顧客に迷惑をかけてしまう状況」になってしまいます。だからこそ今の時代に生き残ることができるのは高須さんのような売り上げより顧客との信頼関係を優先する証券マンなのでしょうが、番組でも紹介していたとおり好待遇は望めません。結局のところ、証券業界はいまだに「株が上がってなんぼ」の性格を色濃く残しているのだなぁとしみじみと感じました。

バブルの崩壊が始まって近江さんは業績を維持するために手段を選ぶ余裕はなかった、という告白も興味深いものでした。この時、山一証券は掟破りの「損失補填」に手を染めてしまったわけですが、今は野村證券や他の大手証券会社が掟破りの「インサイダー」に手を染めています。業績を維持するためには手段を選ばないという証券業界の特性は何も変わっていないのですね。

バブル期と現在では証券業界を取り巻く環境は明らかに違います。それなのに過去と同じ収益構造にこだわっているとどうしても無理が生じます。これは過去の成功体験に縛られて、環境の変化に対応しきれず苦境に陥った電機業界とも似ているところがあるように思います。確かに日本にバブルが再来する可能性はゼロではないでしょう。個人的には世界的な超金融緩和がいずれ新たなバブルを引き起こす可能性は低くないと思っています。その時に世界的に出遅れ感が著しい日本株に投機マネーが集中することだってあるかも知れません。しかし今の日本の証券業界はそんな都合の良い可能性を信じて待っている余裕はないはずです。どんな業種であっても顧客の利益を軽視する者に明日はありません。顧客に迷惑をかけても、とにかく株や投資信託の売買で手数料を稼ごうという姿勢ではいずれ顧客は去って行きます。そういう意味ではSBIホールディングスのように自ら積極的に有望な投資先を発掘するのも証券業界が生き残るためのひとつの方法、その投資案件を証券化して顧客に販売するのもまたひとつの方法だと思いました。この番組を見て私は改めて環境に適応できない者は滅び去るしかないと感じました。





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