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セゾン投信定期積立経過報告

kage

2011/02/25 (Fri)

昨日はセゾン・バンガード・グローバルバランスファンドの定期積立約定日でした。そこでいつものようにセゾン投信設立時から同一金額の定期積立のみを行っている(=定期積立の増額やスポット買いを一切行っていない)私の運用成績を公開させていただきます。

<ご参考>セゾン投信設立時より定額で定期積立のみを続けた場合の指数
●個別元本 : 8,218円 (先月比で7円の低下)
●騰落率 : -3.8% (先月比で0.4%の改善)


今月の約定日はてっきり23日だと思っていたら24日でした。これは21日がアメリカの祝日(プレジデントデー)に当たっていたため入金日が1日遅れとなった影響のようです(21日入金23日約定が22日入金24日約定となった)。結果的に1日の違いで約定価額が前日比マイナス93円の7,911円となったため結果オーライといえそうです。もっとも今日の基準価額はもっと下がるはずですからできればもう1日遅かった方が良かったと考えるのはちょっと虫が良すぎますね。投資環境は先月の約定日から1カ月で激変しました。チュニジアの反政府運動を発端に反体制運動が北アフリカから中東まで広がり、地政学的リスクと原油供給減リスクが一気に高まり世界の株価にとってネガティブ要因となりました。このため原油価格や金価格が高騰しリスク回避の動きが鮮明になり日本円やスイスフランが買われ株価は下落するという流れになっています。昨年はギリシャやアイルランドの財政不安を発端にして欧州財政危機が顕在化しましたがまさかその後に北アフリカと中東が世界経済の火薬庫になるとは誰が想像できたでしょう。このことは将来を予測して投資することがいかに難しいかという現実を示した好例といえるのではないでしょうか?

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北アフリカから中東に拡大している反体制運動の背景には若年層の失業率の高さや食料価格の高騰に対する不満があるようです。それが独裁体制への批判という形で一気に噴出したのが反体制デモなのでしょう。食糧価格が高騰している一因にはアメリカのQE2(FRBの金融緩和第2弾)を始めとした先進国の金融緩和があり、安全保障上の観点から民主化より親米独裁政権を支援してきたアメリカの戦略を自らの金融緩和が崩してしまっているのが何とも皮肉ですね。

それでは北アフリカから中東地域の独裁政権が倒れて民主化が達成されればそれで世界経済の懸念材料は解消されるかといえば必ずしもそうではありません。この動きが共産党一党独裁の中国にも波及するのかにも注目が必要ですし民主化した国々の体制が安定するのかどうかにも注目して行く必要があります。歴史をひもとけば体制が大きく変わった国がその後大きな反動や暴走を引き起こしている事例がいくつも見られます。そこで今回はかの有名なフランス革命を引き合いに出してその後の反動と暴走の歴史をたどってみましょう(以下の記述はWikipediaを参考にしています)。

フランス革命(1789年-1794年):ブルボン王朝及び貴族・聖職者による圧制に反発した民衆が1789年7月14日にバスティーユ牢獄を襲撃する。これを契機としてフランスの全土に騒乱が発生し、アンシャン・レジーム(旧体制)は崩壊する。これらの動きを受け、国民議会は封建的特権の廃止を宣言し、8月26日にフランス人権宣言を採択した。

第一共和制(1792年):8月10日事件で王政が廃止され国民公会でルイ16世を処刑し、国民公会、総裁政府、総領政府に分かれた共和制の成立を宣言する。ジャコバン派のクーデターでジロンド派は公会から追放され、貴族や教会から没収した土地の再分配を行う。ロベスピエールは反革命派や王妃マリー・アントワネット、王党派のダントンらを処刑し、恐怖政治を行う。1794年にテルミドールのクーデターでロベスピエールが失脚し、民衆の手により処刑され、ジャコバン派は退行しテルミドール派の総裁政府が成立する。翌1795年、テルミドール派は失脚し、ポール・バラスによる政権が誕生する。このバラス政権は、比較的長期政権であったが、対外戦争は好転せず、1799年、ブリュメールのクーデターによってナポレオン・ボナパルトが執政政府を樹立し独裁権を掌握した。

第一帝政(1804年):ナポレオン1世が皇帝に即位。ナポレオンはアウステルリッツの戦い・トラファルガーの海戦・ロシア遠征など、欧州諸国に数々の戦争を仕掛けた。しかしナポレオンはライプツィヒの戦いに敗れ1814年に退位する。戦後処理のためにウィーン会議が開かれた。ウィーン会議は、欧州を1792年以前の状況に戻す正統主義が主な内容で、フランスにブルボン家が王として復位することになった。1815年、エルバ島から脱出し、パリに戻ったナポレオン1世が復位。しかしワーテルローの戦いで完敗。ナポレオン1世は再び退位した(百日天下)。

王政復古(1814年):ナポレオン1世の失脚後、ルイ16世の弟であるルイ18世がフランス国王に即位した。ナポレオンが一旦エルバ島を脱出して復権すると亡命するが、ナポレオンの最終的失脚にともなって復位した。このブルボン家の復古は、ウィーン議定書で諸外国によって承認された。1824年にルイ18世が死去するとその弟のシャルル10世が即位し亡命貴族への補償を行うなど反動政治を推し進めた。王への反発が強まる中、1830年に七月革命が勃発してシャルル10世は失脚した。この革命の中心は立憲君主派であったために共和政には移行せず、自由主義に理解を示すオルレアン家のルイ・フィリップが王として選ばれた。

7月王政(1830年):7月、自由主義者として知られたオルレアン家のルイ・フィリップがフランス王となった。ここからの彼の治世を7月王政と称する。政治体制は立憲君主制が採られたが、極端な制限選挙により一部の大ブルジョワジーしか政治参加が認められなかった。フランス産業革命の勃興にともない形成された中小ブルジョワジーや労働者は選挙法改正運動を展開したが、政府がその抑圧を図ったことなどから二月革命が起こり、ルイ・フィリップは退位へ追い込まれた。この二月革命がヨーロッパ全体へと波及、1848年革命と総称される変動を引き起こすことになった。

第二共和制(1848年):二月革命によってラマルティーヌが首班となり、アルベール、ルイ・ブランなどが入閣した臨時政府が成立する。この段階ではブルジョワ共和派と社会主義者の連携が図られていた。しかし、国立作業所など諸政策をめぐって対立が深まり、1848年の4月総選挙において社会主義者が大敗したことを受けて国立作業所が閉鎖された。これに反発したパリの労働者が六月蜂起が起こしたが、カヴェニャック将軍によって鎮圧された。ブルジョワジーや農民の間には政治的混迷を収拾しつつも市民革命の諸成果を守る強力な指導者が待望されるようになった。こうした中、新たに制定された第二共和政憲法に基づき1848年12月の選挙で圧倒的支持のもとにルイ=ナポレオンが大統領に選ばれる。その後ルイ=ナポレオンは議会との対立を深め、1851年12月に国民投票により皇帝に即位する。

第二帝政(1851年):皇帝に即位したナポレオン3世はクリミア戦争・アロー戦争などあいつぐ外征の成功を通じて自らの威光を高めた。その一方で、ジョルジュ・オスマンに大規模なパリ市の改造計画を推進させたり、フランス各地を結ぶ鉄道網を整備するなど、大規模なインフラ整備を通じて工業化を推進した。この際に創出された雇用は失業者の救済にもつながった。その統治の前半は、言論・出版の自由が制限されるなど権威主義的な統治体制であったが、労働立法を通じて労働者の支持も勝ち取りつつ、工業化を推進させることで新興のブルジョワジーの期待にも応えた。こうして、フランス国民各層からの直接的な支持を基盤に議会を牽制しつつ政治運営を行った。しかしこうした彼の権力基盤は華々しい成功を維持し続けることでしか支えることはできず1870年に勃発した普仏戦争においてセダンで捕らえられ第二帝政は終わりを告げた。

第三共和制(1875年):1875年の第三共和国憲法によって正式に第三共和政が発足した。普仏戦争の敗北にともなうアルザス・ロレーヌの喪失と50億フランという高額な賠償金はフランスの対独ナショナリズムを高揚させた。第二帝政期に急速にインフラが整備されたこともあり工業化は順調に進展した。金融資本の形成も進み、広大な植民地やロシアなどへの投資を積極的に行った。外交的には、ドイツ・ビスマルクの巧みな外交政策によって孤立を余儀なくされ、この間にアジア・アフリカにフランス領インドシナ連邦などの植民地を形成させた。しかし1890年のビスマルク引退にともなってヨーロッパ外交の枠組みが大きく変化し、1891年(交渉終了は1894年)に成立した露仏同盟を皮切りに各国と同盟関係を結んでいった。

こうして改めてフランス革命後の歴史を追ってみると共和制の中の内紛あり、王様の復活(王政復古)あり、独裁者(皇帝)の誕生ありとまさに波瀾万丈です。そして現在の民主体制の母体となる第三共和制の成立までにはフランス革命から86年もかっているのです。個人的に興味深かったのは第二共和制下で「政治的混迷を収拾しつつも市民革命の諸成果を守る強力な指導者が待望されるようになりルイ=ナポレオンが大統領に選ばれた」というところです。ルイ=ナポレオンはその後国民投票で皇帝に即位しナポレオン3世となるのですがこれはナチスのヒトラーが強力なリーダーシップを求める国民の支持を受けて台頭して行く構図と似ています。この歴史を教訓とするならば北アフリカや中東の民主化運動が今後さまざまな反動や暴走を生む可能性も考えておくべきなのかも知れませんね。

翻ってわが日本国を見てみると先の政権交代が将来の反動や暴走の要因となる可能性を秘めていると考えることもできそうです。国民は強いリーダーシップを持った政治家の登場を求めており、それが諸刃の剣であることは歴史が証明しているとおりです。海外からは「日本は首相が1年ごとに替わるから決して独裁者は現れない」という皮肉も聞こえてきますが首相がコロコロと変わることの反動で強力な独裁者が現れる可能性もあるわけですから予断を許しません。つまりは冒頭にも書いたように将来を予測して投資することがいかに難しいかという現実に行き着くわけで、投資に一切の予断を差し挟まずインデックスファンドを活用した国際分散投資を毎月コツコツと積み上げることの合理性を示しているといえるのではないでしょうか?





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この記事へのコメント

kage

こんにちは

ブログ閲覧させていただきました!

資産運用には、様々な知識と考えを持って

運用されているんですね。

とても納得しまして お勉強になりました

応援させてもらいます!

Posted at 15:47:51 2011/02/25 by 株の新

この記事へのコメント

kage

株の新さん

コメントありがとうございます。

例えば中国の共産党一党独裁体制がいつかは崩れると確信を持っていてもそれが世界経済にどのような影響を与えるのかは誰にも予測不可能ですので予測するだけ無駄と考えるのが合理的なのかも知れません。それでも私は投機が好きなので見えない将来を見ようとする無駄な努力をこれからも続けていくつもりです。

Posted at 16:31:13 2011/02/26 by おやじダンサー

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kage


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